マーク加工のこだわり
当社は古くからユニフォームのマーク加工を生業としてまいりました。その経験値からマーク加工に関する技術力、提案力には自身があります。
現在のようにパソコンでマークを作成してデジタルで整列させて・・・という事が出来なかった時代、私たちは段ボール紙でひとつひとつマークの型紙を作り、それにあわせて生地をカットし貼り付ける・・・という加工方法でユニフォームのマーク加工を行ってきました。
下記は昔のマーク型紙のサンプルです。パソコンがなかった頃はこうした型紙が会社の財産でした。
ここで面白い話がひとつあります。チームのマークを鉛筆でなぞり書きをして型紙を切り抜く際に、鉛筆ではうまく再現できなかった「文字の膨らみ」や「文字のくびれ」をハサミで微調整して行くのです。
我々は鉛筆よりはハサミを親しんでますので、鉛筆のなぞり書きからはみだして微調整します。
当時の型紙はもう使うことがないのですが、今日の礎となった財産として保管しています。
見た目が美しく感じるなら左右がずれていても良い
今でこそプロ野球全チームでお馴染みの「背ネーム」と呼ばれる選手名をユニフォームに縫い付ける加工方法は、1976年に当時の長嶋茂雄巨人軍監督が日本ではじめて採用しました。
背ネームはご存知の方も多いと思いますが、当時の選手で言えば王選手はローマ字読みで「OH」の2文字で済みます。土井選手も「DOI」で3文字です。反対に西本投手は「NISHIMOTO」と長くなります。ですので短いローマ字表記の選手と長いローマ字表記の選手ではアルファベットの幅サイズを変えてバランスを取ってました。
チーム名も同じように言えます。背ネームはバランス良く貼り付ければ済みますが、表側にはボタンがあります。
例えば文字数が奇数のチームがあるとします。7文字のチーム名だとどうしてもボタンの位置に4文字目がかかってしまいます。この位置にマークを縫い付けると着心地やプレーに影響が出てしまいます。そこで書体や文字バランスを見て見た目が美しくなるように調整します。これは職人技の目検討で判断します。
野間マーク・プラスが大騒ぎになった背番号3の復活
1992年秋、長嶋茂雄氏が巨人軍監督として復帰、長らく黒だったプライマリーカラーがミッドナイトブルーに変更したのもこの時期です。
時は流れ2000年のキャンプイン時期、丁度巨人軍がオフにFAで広島の江藤選手を獲得し、長嶋監督は第二次長嶋政権スタート以来身に着けていた背番号33を江藤選手に譲ります。
そして現役引退の1974年以来となる背番号「3」が復活。
この時は報道陣も当社に詰めかけ大変な騒ぎでした。
メジャーリーグのマークを寝る暇を惜しんでトレースした90年代
1995年当時近鉄バファローズのエースだった野茂選手が渡米したときに「これからはメジャーリーグの時代が来る!」と、片っ端から雑誌を購入し、マーク加工を研究しました。
インターネットでユニフォームの情報が入手できなかった時代、頼りになるのは雑誌でした。
そこから各チームのマークをトレースしました。当時はまだWindows95夜明け前でしたので、もっぱらプロッターでトレースしたものです。
アマチュアチームでも一時期シアトルマリナーズ風ユニフォームが大流行しましたが、例えばマリナーズの書体で同じように並べてもカッコいいユニフォームにはなりません。ちょっと最初の1文字目を大きくするとか、文字サイズの幅を変えてみる・・・というだけでも見栄えが段違いに変わってきます。そこはやはり経験値なのです 。
パソコンを導入してマーク加工を行うようになった現在もその時の経験値が生きています。
プライドを身に着けてほしいという願い
プロでも草野球であっても拘りのあるマーク加工を提供しております。日曜日の草野球、ユニフォームも昔に比べたら大分安くなりましたがそれでもおいそれと簡単に買えるものではありません。
チームは色んな人が、色んな事情を抱えて参加します。
そんな中で折角作成するユニフォーム、他とは一味違う品格をマーク加工をもって味わって頂きたいという気持ちをもって仕事しております。
ユニフォームを身に着けた瞬間、どことなく湧き上がるチーム愛、プライドが持てるようなユニフォームでありたい。
野球ユニフォームが好きな人が当社の仕上がりを手に取った時に「野間さんの仕事は丁寧で重みがある」と言われるように日々努力しております。
試合開始で整列する際にマークで相手チームを威圧してみませんか?それをご提供できるのが当社の強みです。
私たち野間マーク・プラスのマーク加工でユニフォームを作成したいというお客様は、当社では直接お持ち込みは申し訳ございませんがお断りしております。
こちらの「お取引店一覧」から「野間マーク・プラスでお願いします」とご用命ください。